伊丹十三の意見とモード雑誌の広告ページ◆

「ものごとの本質をついている」+「自分の好みがはっきりしている」人の意見は、時間が経っても、色褪せない。
ということをつくづく感じたのが、伊丹十三のエッセイ『女たちよ!』です。

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「女たちよ!」と呼びかけられ、つい「ハイハイ、なんでしょうか」的に購入してしまったのはいつの頃だったのでしょう。
本棚にひっそりとあったこの本を最近久しぶりに取り出して、一気に読んでしまいました。


1968年刊行とありますから、今から40年前。
ですから、もちろん、古びている素材というのはあります。
けれど、それぞれの本質はぜんぜん古びていないことに、とても驚きました。

色々とご紹介したいけれど、このブログはファッションをテーマとしているので、ファッションについて面白かったエッセイをひとつ、ひろってみましょう。


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ファッションに関心がある女性で、靴にこだわらない人は、今や、ほとんど絶滅状態でしょう。

けれど、過去を振り返れば、確かに、靴がクローズアップされてきたのは、そんなに昔のことではないようです。

このことを伊丹十三は大変なげいています。

そう! 40年も前に、なげいているのです。

40年前の、ご自分の恋人奥様、街の人々を想像して読んでください。
「そんな大昔に生まれていない!」 とおっしゃる方は、できるかぎり過去の記憶を呼び起こして読んでください。
それでは、引用、スタート。


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***

女の靴の流行はパリの「シャルル・ジュールダン」という店が作っている。
シャルル・ジュールダンというのは、これはうろ憶えなのだが、たしかディオールの店から独立した人じゃなかったかな。
天才的な靴のデザイナーであります。


今日本で流行りはじめた踵の低い、先の尖っていない靴も、ジュールダンが二年ばかり前に発表したものなんだが、あれを見ただけでもジュールダンが女の流行にどれだけ強い影響力を持っているかおわかりだろう。

(略)

この便利な世の中に、靴の流行がどうして二年もかかって日本へやってくるのか、まことに俄かに信じ難いものがあるのですが、これは日本人の靴に対する意識の低さからきていると思う。


服のデザインにかなりの神経を使う人が、靴のことになると実になげやりで…(略)…。


フランスのモード雑誌なんか丹念に見てるくせに、変ですねえ、靴のこととなるとモード雑誌と結びつけて考えない。


…(略)…服のデザインと同じくらい、靴のデザイン、バッグのデザイン、手袋のデザインに目を光らせてなきゃいかんじゃないか。


モード雑誌というのは前半がたいがい広告でしょう。


あの中に一流の店は全部顔を出しているんだよ。ディオール、カルダン、サン・ローランがある。
シャルル・ジュールダンがある、エルメスがある。


流行にとびつくならこのへんにとびつくんだよ。


***

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シャルル・ジュールダン……、「シャルル・ジョルダン」は今、日本では、おそらく一時的に姿が消えているようです。

私は、かつて、とっても大切にしていた白いジョルダンの靴のことを思い出しました。
ついでに、それにまつわる、甘いのやら苦いのやらどろどろのやらの記憶も……

さて。
文中に入れたのは、ちょうどリビングにあった「ヴォーグ ニッポン」(2009.1)の前半の広告ページを撮ったものです。

伊丹十三は、
「こういうのを買え」
と言っているのではなく、
「流行にとびつきたいのなら一流から学べ」
と言っているのでしょう。

そして、この場合の「学ぶ」は、
「そこから自分なりに美のエッセンスをキャッチし、自分流にアレンジしろ」
という意味だと、私は、思うのです。



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山口路子

プロフィール
作家。2001年に東京から軽井沢に移住。
著書に『彼女はなぜ愛され、描かれたのか』(すばる舎)などのエッセイ集、小説『女神<ミューズ>』(マガジンハウス)など。軽井沢を舞台にした作品としては、小説『軽井沢夫人』(講談社)がある。
公式ブログ*山口路子ワールド*
http://anais.cocolog-nifty.com/blog/

軽井沢・プリンスショッピングプラザ
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