カール・ラガーフェルドの挑発◆

1971年に、ガブリエル・シャネル(ココ・シャネル)が亡くなりました。
偉大なシャネルのいない「シャネル」は元気がありませんでした。
シャネルという伝説的人物の後を引き継ぐということ、確固としたスタイルが確立している後を引き継ぐことは、並大抵ではないのです。

1983年、カール・ラガーフェルドが「シャネル」に入りました。「シャネル」は再生しました。
 「一部の金持ちのマダムたちのシャネル」を一気に10歳以上若返らせて、ジャーナリストたちの度肝を抜いたのです。以来、注目を集め続けています。


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カール・ラガーフェルドは、1938年生まれのドイツ人です。
16歳で国際コンクールのコート部門で1位を獲得、その才能を世界に宣言します。(同年のドレス部門1位はイヴ・サンローラン)。
バルマンやパトゥの店で働いた後、フリーランサーとなり、クロエ、フェンディなどの各メゾンで才能を試し始めます。

デッサンができて、カットもできて、すべてに万能なデザイナーです。
さらに個性的で論理的。
伝説と化しているココ・シャネルについても、過剰に崇拝することなく評価します。
また、生前、面識がなかったことも幸いして、ある意味、ココ・シャネルから自由でもあります。


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彼の「シャネル・スタイル」に関する考え方ははっきりしています。

「シャネルを賞賛するあまり、尊敬するあまり、シャネルの服の発展を拒否するのは危険だ。シャネルの最大の功績は、その時代の要求に女を合わせつつ、服を創造したことだ」

「メゾン・シャネルがほかのメゾンと比べて存続できる理由はいくつもあるが、そのひとつは、彼女の精神的遺言が、来るべき時代のモードに、容易に適応するからだ」


けれど「ミニ・スカートは?」
……ガブリエル・シャネルは、「膝は関節よ。醜いわ。絶対見せちゃダメ」と言い、膝丈ぎりぎりラインを固守していたのです。「シャネル・レングス」と言われるほどに。
晩年のインタビューでも、ミニについて、「大嫌い。慎みがなくて醜いわ、どうして女性が着るのかわからない。挑発的で愚かさの極みというものでしょう」と言っています。


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これに対してもカール・ラガーフェルドは明確です。

「シャネルはミニスカートを断固拒否したが、あの頃の女たちの膝は見せられるものではなかったからだ。今日の若い女たちは充分に美しい膝を持っている。第一、1910年代、20年代にシャネルがした服の提案は、今日のミニスカートみたいなものだった」

動じない自信家のカール・ラガーフェルド。

写真や音楽方面でも活動し、他店のデザイナーも兼任して、ファッション界のマルチタレント、スーパースターとして活躍しています。


そんな彼について、「器用貧乏、才能を切り売りしている、三宅一生やサンローランのように女性の生き方まで変える力はない」と、言う人もいます。


けれどこれらの批評にも動じません。


「現在は、もはやココ・シャネルの時代ではない。ファッションも美しさの基準も完全に変わってしまった。私はゲーテの“過去の拡大された要素からよりよい未来を作る”という言葉を考えながら新しい仕事に取り組んでいる」

自信たっぷりです。


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そんな彼の最新コレクション(2009年春夏)は、白と黒の2色だけで華麗な世界を作り出しています。
……白と黒……、これはココ・シャネルが好きな色でした。
ご興味ある方は、こちらからどうぞ。

   参:「シャネル 20世紀のスタイル」、「世界のスターデザイナー 43」 「エル・ジャポン 2009年4月」



山口路子プロフィール写真

山口路子

プロフィール
作家。2001年に東京から軽井沢に移住。
著書に『彼女はなぜ愛され、描かれたのか』(すばる舎)などのエッセイ集、小説『女神<ミューズ>』(マガジンハウス)など。軽井沢を舞台にした作品としては、小説『軽井沢夫人』(講談社)がある。
公式ブログ*山口路子ワールド*
http://anais.cocolog-nifty.com/blog/

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