マックイーンの信念◆

六本木のミッドタウンを薔薇色モードで徘徊していたら、アレキサンダー・マックイーンのブラックワンピースを見つけました。
久しぶりにとっても欲しいなあ、と思ったので、帰宅して、マックイーンについて書かれている本を読みました。

ああ。
これは代償行為といえましょう。
代償行為。
それは、ある欲求が満たされないとき、代わりのものでそれを満たそうとすること……
(ただし、とっても逢いたいひとにどうしても逢えないとき、二番目に逢いたいひとと逢っても、欲求は満たされずむしろ煽られ、ゆえに、これは代償行為として成立しないので注意が必要です)。

さて。
マックイーン。
私より三つ年下のロンドン子。二十代にして成功、現在も最前線で活躍中のデザイナーです。
メトロポリタン美術館の学芸員のリチャード・マーティンはマックイーンをとっても高く評価しました。
「アレキサンダー・マックイーンは不遜ではあるが、視覚的にも情緒的にも最高のプロポーションを創り出せる現代最高のデザイナー」。

「不遜ではあるが……」と、ことわっています。
不遜、これはマックイーンが語られるとき、ほとんど枕詞のようになっているのです。
ナマイキなやつ、ってかんじです。

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マックイーンは、ロンドンの下層階級の出身で、幼い頃からデザイナーになることを確信していたと言います。

「オレは3歳のときから絵を描きはじめたんだ。それからずーっと描き続けている。オレはいつだって、デザイナーになりたかったんだ。12歳のころからファッション関連の本を読んでいるよ。ほかのデザイナーたちがどんな道を辿ってきたのか読んだんだ。ジョルジオ・アルマーニがウインドウドレッサーだったことも、エマニュエル・ウンガロが仕立屋だったことも知っている」


とっても変わった、孤独な少年時代でした。けれどその孤独は自らが選び取ったものだったから、周囲に同調することはしませんでした。

「みんなはオレをただ無視してた。別にそれはかまわなかった。オレは自分のためにやってたんだから。だが、オレにはファッション業界で成功するってことがちゃんと分かってたのさ。どれくらいビッグになるかは分からなかったけど」


そして、16歳で学校を卒業した後、自力でファッション界の扉を開け、地道な努力と奇抜なアイデア、行動で、スターデザイナーへの階段を駆けのぼるのです。


……こういった話を知るたびに私は、「環境じゃないんだ、やっぱり、そのひとなんだ」と思います。

「これこれこういう環境で子どもを育てよう!」とか「これこれこういう態度で子どもと接しよう!」とか、そんなのが大好きな現代日本のなかで、「私、ぜんぜん、だめじゃん」とか「もっと、あれこれしてあげないといけないのだろうか」などと、責められているような、いやーな気分を日々、勝手に味わっている私としては、アレキサンダー・マックイーンのようなひとが存在することに、救われます。

どんな環境でも、そのひと自身の内に「その種」があれば、生きてゆくなかで、その種に水を注ぎ、空気を与え、陽の光りをあてるひとや、出来事にきっと逢うのです。

そうして、種を自分のなかで育てあげたとき、次のような強気の発言が活きてきます。
成功していなかったなら、誰も聞く耳をもちません。
アレキサンダー・マックイーンの言葉だからこそ、「ふむふむ」とうなずくのです。

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「オレは世間がどういうものかってことを知ってるし、確固たる信念もある。ときには、世間の人たちはオレの信念を気に入らないこともあるかもしれないが、人にどう思われるかを気にするのはデザイナーの仕事じゃない。デザイナーが気にかけるべきことは自分自身の確固たる信念だけだ。消費者はオレの作品を気に入ったなら、それを手に取ればいいだけの話だ」

ふむふむ。
私は心のなかで、ひとり問いかけます。
マックイーンさん、私、あなたの作品で気に入ったのがありました。手に取り、購入すべきでしょうか。

(参)「世界のスターデザイナー43」「ヴィジョナリーズ」

*鋭い美があります。↓

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山口路子

プロフィール
作家。2001年に東京から軽井沢に移住。
著書に『彼女はなぜ愛され、描かれたのか』(すばる舎)などのエッセイ集、小説『女神<ミューズ>』(マガジンハウス)など。軽井沢を舞台にした作品としては、小説『軽井沢夫人』(講談社)がある。
公式ブログ*山口路子ワールド*
http://anais.cocolog-nifty.com/blog/

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