危険な「ゆるT」◆

ヴォーグ・ニッポン5月号に「ゆるT&モード・デニムのスタイル強化合宿」なる特集がありました。
さいきん、自分自身の好みが変容していて、Tシャツっぽいかんじのあれこれを買い足していることもあり、興味深く眺めました。

私は基本的にロングタンクトップが好きなのです。
それは、(許されるシーンでは)ミニのワンピースとしても着られるし、サイドをまとめてブローチで留めれば、ボディラインをごまかしてくれるからです。

ですから、多様な記事のなかでも「アレキサンダーワン」の「T」ラインに注目しました。

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アレキサンダーワンはサンフランシスコ生まれの、いま、とっても人気のあるデザイナーです。
この方が、コレクションラインとは別に、昨年「T」ラインを発表。
その名の通りTシャツがメインなのですが、

「レギンスやボディコン・ドレスなどフルラインを揃えているんだ。単なるセカンドラインという位置づけじゃなくて、Tシャツから始まる、独立した新しいライフスタイルを提案していけたらいいなと思ってるよ」

なのだそうです。
いま、「ゆるT」がブームなのだそうですが、この火つけ役がアレキサンダーワンなのでした。

そして、私は今回、久しぶりに「プレゼント」に応募したくなりました。

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黒のロングタンクトップです。

「スキニーデニムやレギンスと合わせても、一枚でミニワンピースとしてもOKの万能アイテム。着るとナチュラルに作られるドレープや大きく開いたネックと脇のラインがセクシーな逸品です」

うーん。

このロングタンクトップ。お店で、なんとなくハンガーにかかっていたら見過ごしてしまいそうですけれど、このように説明されると、なんとも魅力的なドレスに思えてきます。こうして人々はヴォーグ・ニッポンのサイトにアクセスし、結果どうしても欲しくなり、購入してしまったりするのだろうな、と思いました。

それでもやはり「ゆるT」には、私はある種のデンジャラスな香りがあるように思います。なんとなく「らくそう」に思わせておいて、実はすごく難しいアイテム、という点において。
若くて細い女の子なら問題ないですが、ある程度の年齢で、いろんなところのラインが変容し始めた人々は、「ゆるT」を取り入れる際、熟慮が必要です。自戒をこめて、ここに記したいです。

腕時計の思い出◆

20代の中頃から終わり頃にかけての5年間くらい、腕時計に凝っていました。
当時は海外に出かけることが多くて、一つの都市で一つ、というかんじで、旅の思い出っぽいコレクションをしていたのです。

一流ブランドの高価なものではなく、たまたま入ったお店に気に入ったデザインのものがあれば買う。
そうして、面白い形の時計を集める事が楽しく、毎日違った時計をして出かけていました。

携帯電話が普及する以前の話です。すごい昔話をしているように思えてきました。

それからときが経ち、身辺事情の変化で海外へも出かけなくなり、私は腕時計に興味を失いました。
気が変わったのです。

腕時計をしないことは「時間に束縛されないで生活したい」という信条の象徴よ、なんて言っていました。

思えば、あの頃は、手には時計をふくめ、指輪もしない、ノーアクセサリーに徹することにひとりで喜んでいた時代でした。

そんなこんなと、腕時計についての想いをめぐらせることになったのは、とあるところで手に取った雑誌の一ページを読んだからでした。
(STORY 3月号)

「進化するブランドSTORY」という連載で「フランク・ミュラー」が取り上げられていました。


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フランク・ミュラー。
1958年スイス生まれの「20世紀の天才時計師」。
「腕時計」という枠から大きく飛躍した時計を作ることで有名です。

たとえば、「クレイジー・アワーズ」。
これは文字盤の数字が、順番に並んでいなくて、あちこちに飛び散っていて、だから針は時刻が変わる度に、あちらこちらに行き来するのだそうです。これ、すごく見てみたいです。
日に焼けると、文字盤の色が変わってゆく「カラードリーム」もあります。
カジノのルーレットが文字盤に描かれている「ヴェガス」もあります。

……。

雑誌をじっと眺めていたら、また、日本から出て、どこか異国の町で、気に入った腕時計を買いたい、そんな欲望がつきあげてきてしまいました。


受け身のファッション◆

先日、ひさしぶりにひとりきりで新宿を歩いて、いつもは行かないお店をいくつかのぞいて来ました。
若い女の子たちをターゲットにしたお店です。

ストレッチの黒いスカートがあったので、つい手にとって見ていると、お店のお姉さんがさかんに勧めます。
お姉さんに教えてもらって気づいたのですが、そのスカートは、ところどころシースルーになっているのでした。
わあ。
さすがに年齢が許されないと思って買いませんでした。


それにしても新宿駅周辺は、銀座とはまったく違った色彩です。
おもいきった色彩やかたちのファッションをして楽しそうに歩いている人たちが多いので、ついまじまじと見てしまいます。

そのとき、「ああ、あれだ」と思い出した言葉がありました。
イギリス、「ダンディ」の権化であるジョージ・ブランメルの言葉でした。

彼は言っています。

街を歩いていて、人からあまりまじまじ見られるときは、きみの服装は凝りすぎているのだ

もちろん、なににしても「~しすぎ」はよくないので、「ダメだよ、それ」という意味です。

それで、家に帰って生田耕作の名著『ダンディズム――栄光と悲惨』を読み返して、それからふと『てつがくを着て、まちを歩こう』(鷲田清一著)を手に取り、読んでいましたら、ブランメルが出てきてびっくりしました。(精読していなかったということです、いままで)

↓((今朝の美しい雪景色を背景にした文庫本))
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鷲田氏は私と同じブランメルの言葉を引用して、さらに次のように言っています。


ひとは目立つ服を着ることで、つまり引き算ではなく足し算で「個性」を表現しようとする
でも、それは、
他人の視線の対象となることで、自分の存在を確認していたいという受け身のファッションである
とおっしゃいます。
それをさらに発展させて、
そこには『愛する』というより『愛させてほしい』、『信じる』というよりも『信じさせてほしい』といった受け身の生き方、『癒されたい』という待ちの姿勢に通じるものがある
とおっしゃるのでした。


面白い考え方だなあ、と思います。

自分はどうなのか、受け身のファッションなのか、それとも……なんてことを考えるのに、よいテキストでした。

香水の記憶、過去の恋愛◆

特集記事を調べていて、保存グループに入っている昔の雑誌をひっかきまわしていたら、「エルジャポン 2009年7月号」のなかの、見開き2ページに目がとまりました。
それは、

――おしゃれ達人に聞く「初めての香り」と「ステディな香り」――

というタイトルで、6人の女性がとりあげられていました。

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「私にとっては過去の恋愛と香りというのがとても密接に関係しているの。ロードゥ・イッセイ、ジャン・パトゥとかは特に懐かしい。そのときのトキメキや愛情をリアルに思い出してしまうわね(笑)」(キャサリン・マランドリーノ)

「香りはとてもパーソナルなものよね。その香りで特定の人や場所を思い出すもの。私の心にある香りの記憶も大切にしていきたいわ」(トリー・バーチ)

そうなのです。
私も街を歩いていて、ある香りに、思わずふりむいてしまうことがあります。

私がいま愛用しているのは、シャネルの「COCO」。
ごく最近、わけあって(大したわけではないのですが)、香水を変えました。
そして、この香り、とても気に入っています。


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現代の世界三大パフューマー(調香師)の一人であるジャック・ボルジュが創り出した香水(あとの二人はジャック・キャバリエ、ソフィア・グロスマン)。

ジャック・ボルジュはシャネルの専属で、「エゴイスト」「アリュール」なども創っています。

シャネル社の創業者ココ・シャネルは詩人ポール・ヴァレリーの
香水で仕上げをしない女に未来はない
という言葉を気に入っていましたが、ジャック・ボルジュはその精神を引き継ぎつつ、次のように言っています。


フレグランスは、ファッションをあらわす詩であり、ファッションの心を静かに映し出す隠れた鏡なのです」。

ファッションについての興味、ある程度のこだわりが、もしあったならば(なければ別です)、やはり最後の仕上げとして身にまとう香水は、欠かせないものだと思います。
全身素敵にコーディネイトしている女性のそばに立ち、何も香らないとき、私はひとりでこっそりと落胆するのです。

「リュクスの定義」に思うこと◆

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「エレガンスの継承者たち」(伊藤緋紗子著)という大型本を久しぶりに眺めて、非日常的なひとときにひたりました。

「世界に君臨する超一流ブランドはどうやって生れて継承され続けてきたのでしょう。いつまでも私たちを魅了するのはなぜでしょう」

というテーマなので、これを読むことで「非日常的なひととき」を過ごす自分自身が少々物悲しくもありますが、美しい写真もたくさんあるので、美にふれたい欲求が満たされるのは事実です。

そのなかから「カルティエ」のクリエイティブディレクターの言葉を紹介します。


「リュクス(奢侈)」の定義について。

「リュクスは、今日ではすっかり使い古され、中身のない言葉になってしまった。人に見せるためや自分が金持ちだと示すためになにかを身につけるのではなく、そのものが、自分のためだけに作られたと感じる個人的楽しみをもたらす時こそリュクスな時なんですよ。だからそのものの精神に魅了されることが大切なんだ

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「リュクスな~」といった言葉は、このところ、雑誌、ネット等で濫用されているように思います。
高価なもの、有名ブランドのものを「所有する」という意味で、使われているような気がしてなりません。
けれど、(たまには正論っぽいことを言いたいのですが)、リュクスはやはり、本来はとっても精神的なものなのだと思います。

そういった意味でいえば、ある世代の方は、「ああ、なつかしい」と思われるかもしれませんが、たしかバブル期に「カルティエの三連リングを彼からもらう」という行為が、流行したことがありました。あれなどは、まさに「もっともリュクスからほど遠い行為」なのだと思います。

服にしても小物にしても、身にまとうもので、「惚れた!」と思えるものに出会えるのは一年にいったい何度あることでしょう。
有名無名関係なく、そういうものとの出会いにリュクスな香りを感じていたい。
「一流ブランド」についての本を眺めながら、つくづく思うのでした。


アルベール・エルバス登場◆

「失われたのは、ファッションそのものではなく、装う“喜び”」。

どきりとして、目を止めました。
このところの自分のことを言われているようで、でもそれは言われたくないことだから、どきりとしたのです。
「悪い?」と開き直ってみたくもあり、「だってこんなに寒いんだもの、つい“喜び”よりも“暖”をチョイスするのは軽井沢住民としては、それはもう人情の域なのよ」と、これまた開き直ってみたくもあり。

それでもつい最後まで、「この記事」をぐいーっと読んでしまったのは、短い文章のなかに平易な言葉で、根本的なことが表現されていたからです。

「ハーパースバザー日本版の3月号」。

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私がぐいーっと引き込まれた「この記事」とは「ランバン狂想曲 in Tokyo」、ランバンのアーティスティック・ディレクター、アルベール・エスバスのインタビュー記事です。

アルゼンチンのブエノスアイレスで彼は、女性たちが年齢に関係なく自由にファッションを愛している姿に魅せられます。
華やかなタンゴバー。
美しく着飾った年配の女性たち。
そこに一人の若い女性が入ってきます。彼女はTシャツにジーンズという姿。

その「光景」に、彼は愕然とするのです。そして自問します。

「いったいファッションはどこへ行ってしまったのか、僕たちの世界がなくしたものとは何だろうか」と。

そして私がどきりとした言葉が続くのです。

そして気づいた。失われたのはファッションそのものではなく、装う“喜び”だとね。それをぜひとも取り戻したいと思ったんだよ


この言葉にインタビュアーの言葉が、重なって響きます。

ランバンが伝えるのは、スタイルではなくエモーションだ。女性一人一人に寄り添い、そっと包み込み、その人生を彩ってくれる


ランバンを身にまといたい、と思わせるみごとな文章だと思います。
……もしかしたら、現在の私が、切望している何かがここにあるのかもしれません。


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久々に、じっくりとくいいるように、ふれあってしまった記事でした。
もっともっとご紹介したい言葉がありますが、全文引用になりかねないので、ここまでとします。
ご興味ある人は、雑誌を購入するしかありません(なんだか宣伝めいてきました)。

そうそう、気になることがもう一つ。
インタビュアーは……と探してみると、「Interview&text:Akari Ii」とありました。

白い服とロングパール◆

今年はじめのコラムで書いた『シャネル&ストラヴィンスキー』、昨年公開されたシャーリー・マクレーン、そしてオドレイ・トトゥ主演の2本のシャネル・シネマに比べて、もっともゴージャスでした。

いわゆる「シャネル」が観たい、という人たちに、もっとも人気がある映画、そんな気がしました。
それもそのはずで他の2本にはないものが、この映画にはあるのです。

まずは「シャネル社」が協力していること。
そしてシャネルの現デザイナー、カール・ラガーフェルドが衣装を手掛けていること。

見所や、「それはないでしょ」と苦情を言いたいところなど、私なりにありますが、ファッションという観点に絞れば、「シャネルの白」の美しさに圧倒されました。

シャネルの基本の3色といえば、「黒」「白」「ベージュ」。
そのなかで今回は特に白です。
ココ・シャネルを演じたアナ・ムグラリスの髪は短くて黒いのですが、この短い黒髪と、白い服がとても美しい組み合わせに見えたのです。

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「白」といえば、やはり「清潔感」が連想されて、私はなんとなく気恥ずかしく、避けていた色なのですが、この映画を観て、白い服が欲しくなりました。
「清潔感で着ようと思うから恥ずかしいのだ、存在感で着ればいいのだ」と意味不明にひらめいたからです。

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また、それと合わせて、以前にこのコラムでも書いたかと思いますが、パールのロングネックレス。
それも「超」がつくロング、の美しさを再発見しました。
ほとんど下腹のあたりに三連にたらされたロングネックレスは、とてもシックで、大人の女を主張しているのです。

サンディ・パウレルの成功の信条◆

先週に引き続き、「ハーパース・バザー日本版 2月号」から。

興味深い記事がもう一つありました。

「サンディ・パウレル、二度のオスカーに輝いた色彩と素材の魔術師」

とタイトルのインタビュー記事です。

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サンディは映画のコスチューム・デザイナー。
「オルランド」「恋に落ちたシェイクスピア」等、最近では「ヴィクトリア女王 世紀の愛」などの衣裳を手掛けています。

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1960年ロンドン生まれ。
彼女の言葉が、胸に染み入りましたのでご紹介します。

コスチューム・デザイナーの条件について。

たとえ自信がなくても、まず自分自身を信じること。
自分に確信が持てない人は何も達成できない。
特に私の仕事はコラボレーションが大切だから、他人を説得する能力も要求される。
もちろん、ときには妥協をすることもあるわ。
俳優が本当に嫌がっていることを無理に通そうとは思わない。
彼らに譲ることで、その次からは信頼を得られることもある
他人の信頼が得られれば、それがひいては自信にもつながるのよ」

オリジナルな存在である、と評価されるサンディ。
オリジナルで居続けることは難しいでしょう、との問いかけに。

「きっとそれは、私が傲慢な性格だからかもしれないわね(笑)。
でも私にとってアーティストでいることのポイントは、オリジナルであること

自分を満足させられない人は、他人のことも満足させられないでしょう

毅然とすることが肝要なのです。
ときおり、「くしゃん」となったとしても、やがて立ち直ること。
それがオリジナルであることの必要条件なのでしょう。
ちょっと背筋がのびるインタビュー記事でした。


ルブタンのハイヒール◆

いったんとけた雪が凍ってスケートリンクのようになっていたり、我が家の駐車スペースのように雪かきというものをしないから、しかも陽が当たらない場所だから、いつまでも雪がある……。
雪のない都会へ出かけるために、スウェードのパンプスを履こうと思ったなら、パンプスを手に持ち、日常用のブーツを履いて車に乗り、車中で履き替える必要がある……。

そのような場所に住んでいながら、いま、とってもハイヒールが履きたくてたまりません。

「ハーパース・バザー日本版」2月号のせいです。

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興味深い記事がありました。
そのタイトルはずばり、

「官能シューズ魔術師への質問状  クリスチャン ルブタンとハイヒールをめぐる考察」

です。
ルブタンは私とほぼ同年齢。1964年生まれです。

彼の「ハイヒール哲学」が面白い。
2007年に奇才デヴィット・リンチとコラボレーションした「フェティッシュ展」、とても観たかったです。


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ところで、ハイヒールはけっして歩きやすくありません。

ルブタンやマノロ・ブラニクそのほか飾っておきたくなるような美しい靴は、ウォーキング用ではないので、食事やパーティーの数時間用。もちろん車で移動が基本で、駅の構内を歩いたりしてはいけない。と、私は考えています。

ですから、それなりのハイヒールを履こうなどと考えたら、まずはそのハイヒールに費やす現実的な問題から始まって、それに似合う服、似合う生活スタイルというものが問われるわけですから、なかなか、大変なのです。

それでも。
それでも、次のルブタンの言葉に、それでも私は美しいハイヒールが履きたくなるのです。

「なぜ女たちは窮屈なハイヒールを履くのでしょう?」という質問に対するルブタンの答え。

すべての靴がコンフォタブルである必要はないと思う。コンフォタブルというのは、OKという意味で、GREATというわけではない

もう、これだけで、私にとっては説得力大です。
さらに、ルブタンは続けます。

ハイヒールは実用的じゃないかもしれないが、ラグジュアリーで文明的、自分の気分を高揚させてくれる。体のプロポーションや振る舞い方ですら変えてくれる

その通りです。
そして、次のエピソード。

「以前、パリのショップに一人の女性が来て、『自分の街が好きになった』とお礼を言われたんだ。今までいつも急いでいたから周りの景色を見る余裕がなかったけれど、僕の靴を履いてゆっくり歩くようになったら、美しい街の景色を楽しめるようになった、と。
短い人生、なぜ走る必要がある? 走り過ぎたら何も見られない


この女性は、たしかにゆっくり歩くことによって美しい景色を発見したのかもしれません。
けれど、ルブタンのハイヒールを履くことによって高揚する気分、美しい靴を履いている自分自身に酔うという状況、そのほか、さまざまなルブタンマジックが、この女性を包み込み、女性の瞳がいつもと違う輝き、潤いを持ち、それが美しい景色につながったのだと、私は思います。

そして、私も大好きなルブタンの赤。

レッドソール(いわゆる靴の裏側、地面に着く部分とヒールの裏側が赤なのです)がルブタンのアイデンティティなのですが、これについて。

90年代初頭、女性は黒ばかり着ていたから、魅力的なウィンクのように、レッドソールが後ろ姿のアピールになったらいいなと思って

魅力的なウィンクのように……。
それこそなんて「魅力的な」表現をするひとなのでしょう。
ルブタンのファンになりました。そしてルブタンのハイヒールが欲しくなりました。庭は雪景色ですけれど。


トレンチコートを狙う◆

先日、久々にクローゼットのなかを眺めて、絶望的気分を味わいました。
私はいわゆる「たんすのこやし」というものがないほうだと思うのですが、それでもここ1~2年で一度だけ、あるいは一度も袖を通していないものを、割と多く発見してしまったからです。

「好みが変わったんじゃないの~?」と友人は言いますが、そして、確かにそれもあるのですが、基本的に「目に新しく映ったものを、結局着なくなるのに買ってしまう」ことを、いまだ、していて、結果、「良い買い物だったわ」から遠ざかっているということなのです。
ぜんぜん、ダメです。
なっていません。
これは年初から自分にカツを入れる必要がありそうです。
まずは現実を見るのです。
自分の生活を、見るのです。すると分かってくるはずです。
そこで、トライしてみました。


一ヶ月間、どんなシチュエイションが最も多いか、です。(なんだか今日はとってもオープンです。いいのでしょうか)。

1番「家にいて仕事したりぼんやりしたり妄想したりしている」
2番「軽井沢町内で、たまーに、ちょっとお茶あるいはランチに出かける」
3番「仕事の打ち合わせのため上京する」
4番「ひと前に出てあれこれする」
5番「すてきなひととデイトする」(書かせてください、せめて。ほんとは1番なのよ、と言ってみたい)


……。
さて、このように考えてきますと、自分に必要なワードローブが見えてきます。
まずは、基本的にお部屋着を充実させる必要があります。
気持ちよく、もっとも好きな自分でいられるようなスタイルでいることが肝要です。

そして2、3、については、ちょっとしたヴァリエイションでどうにでもなりましょう。次のものがあれば。
ワンピース3枚、スカート2枚、セーター2枚、ジーンズ2本。あとはタイツやソックス、靴、アクセサエリーで表情を変えます。
そして4番はちょっと頑張るのです。シーズンで3つくらいがあれば完璧。
5番は、相手がどんなひとなのかにもよるから、ここでは深入りしません。

はい。
そんなことを考え合わせると、服というのは、ほんとうに、数ではないのだな、と実感。
その上で、それではいま、私は何が欲しいのでしょう。
と考えてみたら、以前から「それが似合う年齢になったら」と考えていた「トレンチコート」が頭に浮かびました。
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トレンチコートって、着こなしがとても難しいと思うのです。
街を歩いていて、さまざまなトレンチコートを、これからの季節(冬の終わりから春にかけて)よく目にすることになりますが、「ああ、素敵」「似合っている」と思えるひとに、なかなか出会えません。
だからずっと怯んでいたのです。

(↓ カトリーヌ・ドヌーヴは別です、「シェルブールの雨傘」のトレンチは粋でした)

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でもそろそろ、44という数字が迫ってきているし、このあたりでよいのではないかな、と思い始めました。
つまり、今、私が欲しいのはなるべく長い間着られる「トレンチコート」ということに気づいたのです。(私は「一生モノ」という考え方ができません。なぜなら飽きっぽいからです)

さてさて。
お気に入りのに出会えるでしょうか。
数ヶ月かけて、探すこととします。



山口路子プロフィール写真

山口路子

プロフィール
作家。2001年に東京から軽井沢に移住。
著書に『彼女はなぜ愛され、描かれたのか』(すばる舎)などのエッセイ集、小説『女神<ミューズ>』(マガジンハウス)など。軽井沢を舞台にした作品としては、小説『軽井沢夫人』(講談社)がある。
公式ブログ*山口路子ワールド*
http://anais.cocolog-nifty.com/blog/

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