こんにちは(ノ*゚Д゚)ノ
先にお詫びしておきます。
ほとんど字です!!スイマセン・・・
今日は七夕ですね
天の川のほとりで織姫と彦星が一年に一度
会う事の許された日・・・
今朝テレビを見ていて織姫と彦星の関係を
恋人同士だと思っている人が多い事を知りました。
そこで、七夕小話・・始まり始まり~
織姫(コト座のベガ)は天帝の娘で、
機織の仕事をしていました。
彦星(わし座のアルタイル)は
牽牛の仕事をしていました。
二人ともとても働き者だったので、
天帝は二人の結婚を認めました。
しかし、二人は夫婦生活が楽しく、
織姫は機を織らなくなり、
夏彦は牛を追わなくなってしまったのです。
それに怒った天帝は天の川を隔てて
二人を引き離してしまいます。
ただ年に1度、7月7日だけ天帝は会う事を許した・・
というお話です。
織姫と彦星は夫婦だったんですね~。
夫婦なのに一年に一度しか会えないなんて
寂しいですね・・。
しかも・・まだ続きがあるんです。
7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、
織姫は橋を渡ることができず、
二人は会うことが出来ないそうです。
晴れを祈りたくなりますね。
ここで、昔の歌人の歌をいくつかご紹介します。
【ひさかたの 天の川瀬に船浮けて 今夜か君が 我許来まさむ】
【織女し 船乗りすなし真澄鏡 清き月夜に雲立ち渡る】
【秋風に 夜の更けゆけば天の河 河瀬に浪の 立ち居こそまて】
【七夕の あはぬこころや 雨中天】
【うれしさや 七夕竹の 中を行く】
訳などの詳しいものは続きをご覧ください。
◆七夕豆知識◆
室町時代、平安時代七夕は庶民のものではなく
宮中行事だったんです。しかし中国から伝わった
織姫と彦星の話は庶民の間で広がっていたようです。
「七夕」を『たなばた』と読むようになったのは
平安時代からといわれ、それまでは「織女」の
『たなばたつめ』のことをしめしていたんです。
今の織姫のことですね。
皆さんなぜ、七夕に笹に願い事をつけるのかご存知ですか??
笹に短冊をつけるようになったのは、
江戸時代からと言われています。
なぜ、笹かというと厄除けの力を
持つ聖なる植物とされていたからなんですね~。
また、七夕には天の川や機織の糸に見立てて
そうめんを食べるようになりました。
そうめんを食べると熱病にならない
と言われていたんだそうです。
今日の晩御飯はそうめんで決定ですかね??
お天気にも注目しなくっちゃ!!
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【ひさかたの 天の川瀬に船浮けて 今夜か君が 我許来まさむ】
万葉集より 山上 億良 奈良時代初期の歌人
訳:天の川に船を浮かべて、今夜あなたが私のところにいらっしゃるのでしょうか・・
とういう歌です。織姫目線の歌ですね。
男性が女性の歌を詠むとなぜか切ないような
気持ちになるのはアタシだけでしょうか・・??
【織女し 船乗りすなし真澄鏡 清き月夜に雲立ち渡る】
万葉集より 大伴 家持 奈良時代の政治家、歌人、三十六歌仙の一人
訳:織姫が彦星に会うために、今にも船に乗るようだ。
船出のしぶきで鏡のような清らかな月夜に雲が立ちはじめた・・
という歌です。月にかかる雲を織姫の船出のしぶきと詠む・・
昔の人は現代人よりもよっぽどロマンチストですね~。
【秋風に 夜の更けゆけば天の河 河瀬に浪の 立ち居こそまて】
捨遺和歌集より 紀 貫之 平安時代の随筆家、歌人
訳:秋風が吹くなか夜も更けて行くので、あなたが訪れるのを天の川の瀬に立つ波のように立ったり座ったりしています・・
という歌です。今か今かと待ちわびている様子を波にたとえる・・
言葉の深さを感じますね。
平安時代は7月7日はすでに秋だったんですね~。
【七夕の あはぬこころや 雨中天】
松尾 芭蕉 江戸時代の俳諧師
意味:織姫と彦星は今日会えるとう有頂天になっていたはず、でも残念ながら雨で二人は会えなくなってしまった。心は今まさにどしゃ降りの中にいるような気分のはず。
だから「有頂天を雨中天」ともじって詠んであるそうです。
歌に遊び心・・といった感じでしょうか?
【うれしさや 七夕竹の 中を行く】
正岡 子規 明治時代の俳人、歌人
意味:笹竹に願い事を下げる子供達の楽しそうな様子。
願い事を考える時ってワクワクしますよね。
今年はどんな願い事をしましたか??